ここにいていい

ずっと生きづらかったわたしが、ゴキゲンなただのオンナに戻っていく日記

で、どうする?

 

 

こんばんは。冬至なので、ワタごとかぼちゃを食べてるめんたい子です。

以前、夫がfacebookやっててもやもやするわという趣旨の記事を書きました。

今日の記事は、その解決編です。

 

結論から書くと、

・モヤモヤしたという気持ち、夫のそういうのは知りたいと思うのに自分は隠しておきたいってゲスい自分を感じた、ということを夫にそのまま伝えた

・結局わたしの勘違いで、夫はfacebookに投稿してなかった

ということになりました。

 

話すのすごい怖かったんですけど、夫は嫌がらずふつうに聞いてくれて

(むしろニヤニヤしてた笑)「そうなんだ、なるほどね」でアッサリ話終わった。

なんかほんとに、思ったことそのまま伝えても別に何も悪いこと起きないんだなーってまた一つ体感。

 

で、夫に話そう!と決めるまでの過程が自分の中で重要で気づきがあったので、

そこについて書きます。長くなります。

 

 

facebook事件で、「わたしゲスいわー」とモヤモヤを抱えて過ごす中

心に刺さった真穂さんのブログ記事。

santasantasan.hatenablog.com

 

こちらの記事を読んで、わたしがfacebookでモヤモヤしてたのは、

暇だから新たな悩みを作り出してタマシイ震わせようとしてただけじゃないか?

自分は今また、【やってる風】になってないか?と思った。

 

でも、正直なところ判断基準がわからなかった。真穂さんのブログ記事では

 

悩み自体にいちいち反応する自分を見てるのか、

その悩みを次々創り出して、翻弄されてる体にしておくことで

自分はどこから・何から逃げてるのか?を見てるのか。

 

が【やってる風】かどうかの判断基準と書いてある。

内容は理解できるけど、今の自分がどっちなのか?という判断ができなかった。

でも、このブログ記事に心がひっかかったていうことは

何かズレちゃってるんだろうな、と思ったので真穂さんにメールしてみました。

そのやり取りの一部を引用します。

 

☆めんたい子→真穂さん

昨日の真穂さんのブログ記事を読んで、あれ?自分ブレてるんじゃないか?と思い、軌道修正に力をお借りしたく、ご連絡しました。

わたしは、もし悩みが出てきてもそれは完璧だから、「この出来事はわたしに何を伝えようとしてるのか?」と立ち止まり、そこで生まれた感情、気づいた嫌な自分、ちっぽけな自分をただ受け止める、あーこんな自分が出てきたなーと向き合うイコール自分を明らめるということだと思っていました。
 
でも、それは「自分が暇つぶしに悩みを次々生み出して」「悩み自体にいちいち反応する自分を見ている」「悩むことでタマシイ震わせて喜ばせてる」ということなのでしょうか?

夫がfacebookやってるの知ってもやもやする!というブログ記事を書いたのですが、これは放っておいても良いような悩みをわざわざ大きく捉えて【やってる風】して「こうして向き合ってれば人生うまくいくはず!」と安心してる、ということなのかな…、あれ、わたしまた【やってる風】してるのか?簡単に戻ってしまったのか?暇つぶしに悩みを大きくしてるだけなのか?と思いました。

「うわー夫がfacebookやってるわーもやもやするわーこんなにもやもやするってことは、わたし本当はゲスで嫉妬深くて自分はほっとかれたくてうんぬん…」
これは「悩み自体にいちいち反応する自分を見てる」(悩みでタマシイを震わせて、直視するところから目を逸らしてる)ということで、

「うわー夫がfacebookやってるーもやもやするー …ってこんな悩みまた創り出してる!また悩むことでタマシイ震わせようとしてるーこの悩みをわざわざ創って、わたしは何から逃げ出そうとしてる?」
これが「自分はどこから逃げているのか?を見てる」(ちゃんと直視するところを見てる)ということなのでしょうか。
 
それとも、「あーわたしまた悩みでタマシイ震わせようとしてるわーはいはいいつもの自分のクセ出たー今はうじうじしたい時なのねー」と、突っ込みつつ気に留めなくて良い、流れていくのを待てば良い、ということなのでしょうか。

初回セッションの終わりに、まず取り組むことの一つとして「マイナス感情が出てきたら徹底的にそれに浸る」ということを教えていただきました。また、それが悲劇のヒロインになっても良い、ということもおっしゃっていましたが、それと「悩みでタマシイを震わせてる」「やってる風」の違いが、どうもよくわからなくなってしまいました。

真穂さんのあの記事を読んで心にひっかかりが生まれたということは、きっと何かずれちゃってるんだと思うのです。
 

 

真穂さん→めんたい子

 

めんたい子さんの記事。

今拝見して確かに、ちょっとなんかが確かに惜しいかもとは思いました。

たぶんなんですがやってること自体が間違いではなくて、
感じて、ああこういう自分がいたんだーとかいろいろ明らかになって、
「で、どうする?」
「決める」
が無いのかなと。
 
月収7桁達成のお友達のときもそうでしたよね、
一番尊いわたしに何させてるんだよー!とか、いろいろなことが書いてあったけど、
さらっと突っ込むと、
「で、散々それだけ大騒ぎして、で、どうすんの?」
という突っ込みをして何をどうするかを「決める」のが抜けやすいのかもしれない。
 
そういうところ、感情を感じるとか出すとか明らかにするというのは最終的にはこの「決める=で、どうする?」のためにやるんですね。
決めないと何も変わらないからね(^^;;
今回だったらそもそもFacebookを見ない、とか。たとえばですけどね?
 
ゲスくて嫉妬深くて本当はほっとかれたくて、が明らかになったなら、
それを旦那さんに伝えるけどな。
 
ねーねー、わたし今日たまたまFacebookの見えて、そのときいろんなこと考えちゃってね、
それでわたしめっちゃ嫉妬深いってことに気づいて落ち込んだーー
 
みたいな。
まあ言い方はわたし風だけども…笑
 
そして、それ伝えようともし想像したら、
もしかしたら恥ずかしいとか、そんな甘えた感じわたしらしくないとか、プライドが!みたいな感じがもしかしてしたりする?
 
そしたらそれがハリボテだよー笑
明らかに見なくてはいけないのは感じなくてはいけないのはそこもかもしれない、あってるかはわかんないけど。
 
なんかね、これはただの印象でしかないんだけど、
そのあと決めます、みたいな記述があったじゃないですか。
あれ、在り方とかなんとかって書いてあったんだけど、
ちょっとかっこつけーみたいな感じがしたんだけど、そんなことないかな??
なんか、フェアな在り方、とか。
そんなかっこよく決まれるものなの?と。
 
わたしね、なんか脳が決壊してるみたいで、
本音じゃないというか作った言葉というか、なんか向き合ってる風な感じの言葉は何度読んでも頭に入ってこないんだよね。
そんな感じでめんたい子さんの例の記事の後半が
なんか書いてあることはかっこいい感じなんだけど、何度読んでもよくわからないというか頭に入ってこなくて。
それで何か、カッコつけちゃってるところあったりする?と思ったんですが、どうかしら。。。
 

 

ちなみに、かっこつけてない?って言われてるのはわたしの以前の記事の下記部分。

 

その上で、どうするのか決めます。

というかもう答えはたぶん出てて、わたしはフェアじゃないのは嫌なので、そんなぶーぶー言ってるのはかっこ悪いので、フェアな在り方をたぶん選ぶんですけど、そこを選ぶ覚悟がまだできてなくて、そこを自分に嘘つかず納得して選べるまで落ち込むことを選びます。(なんか日本語が変。)

フェアな在り方を選んだ場合、夫に対しての接し方(連絡の取り方とか)は今までと全然変わらないはず。でも今までは「わたしは自由を愛し束縛せず正々堂々としてるんだからそんなゲスな感情出てくるわけない」って、ゲスな気持ちをずっと無視してたんだよな。それが、ゲスな気持ちあるよーって認めたうえで、でもわたしはこっちを選ぶよってしてあげたら、ゲスな気持ちも消化できる気がする。何より言動が臭くなくなるはず。

いったんゲスな自分を認めてしまえば、その上でゲスさ全開を貫き通すほう(自分はやりたい放題自由だけど相手の行動は逐一知りたいよっていう、外側・結果を追及する)を選んでも良いし、フェアな在り方を選んでも良いし。選択権は自分にある。本当に自由に自分の人生を創れる。

でも、自由って厳しいな。その選択の責任は自分が負わなきゃいけないわけだから。あ、これは嫌だなーとかって意味じゃなくて、そういう覚悟が必要だという自負です。フェアな在り方を選ぶなら、もうぶーぶー言えなくなるわけだから。気になるなーって気持ちと毎回向き合って(無視はしない!)きっとそこには痛みもあって。一方でゲス全開で行くなら、自分のゲスな気持ちを外に出せるし、夫の行動把握できてスッキリはするかもしれないけど、もうそれは本当にゲスでしかなくて、ダサい自分であることを自分に許すのかっていう。

 

メールのお返事をいただくまで、この件を「夫に伝える」という発想が出てこなかった。

自分の中だけで解決しようとしてた。

「自分がこう思った」というのを誰かに伝えるというクセがついていないのだな、

と感じました。

で、かっこつけてない?という部分については下記の返信にて書いてます。

 

☆めんたい子→真穂さん

 

(「決める」が抜けるという点について)
う、確かに…。そうですね。
わーわー喚いて大騒ぎして、肝心のそこが抜けていたということなんですね。
マイナス感情にどっぷり浸かって悲劇のヒロインやっていいけど、
その後どうするか「決めて」、「動かないと」結局前と同じ「やってる風」になってしまう。

動きたくない、決めたくないから、本当に向き合うとこじゃなくて
ズレてるとこをこねくり回して向き合ってる風してたんだなー、と、
セッション前のメールでご指摘いただいたことを今また改めて実感しました。

「で、どうする?」なんですが、今回のfacebookの件については、
アドバイスいただいたそのまんまですが「夫に自分が思ったことを伝える」ことにします。

(夫に伝えることを想像したときの心境について)

恥ずかしい!とかプライドが!とかは感じなかったんですが、
この話をしたら夫はきっと嫌な顔するだろうなー…話しづらいなー…と感じました。

なので、明らかに見なくてはいけないのは、「人の機嫌をうかがってる、周りからどう思われるかをまだ優先してる」
ということだったのかもしれません。
「で、どうする?」が、上に書いた「夫に伝える」です。
こうして「決めた」ので、あとは実際に行動して「小さく動く」を、やってみます。


(わたしのブログ記事の後半、かっこつけてない?という点について)

その時は、「これがわたしの美学!」と思って、そう書きました。
でも実際どんな風に感じてたかじっくり思い返してみて…、
かっこつけというか、良い子ぶってた?と思いました。

「フェアな在り方」って、自分を見つめて突き詰めた結果出てきた言葉じゃなくて、
無意識にスッと出てきた言葉だったんです。
ただ、今思い返すと「あ、こうだったのか!わかった!」みたいな感覚ではなかった。

だから今までの考え方のクセをそのまま適用しているというか、
「自分が束縛されないことを求めるんだから、相手にも束縛すべきではない」とか
「そうしないと(フェアじゃないと)嫌われるかも」という思いに基づいていたのかもしれません。

まだ良い子ぶってたのはわかった。嫌われたくないのもわかった。
「で、どうする?」なんですが、上で書いたことと同じ行動ですが
「嫌われる、呆れられるかもしれないけど、フェアじゃない自分をそのまま伝える」ことにします。


今後は、「で、どうする?」(決める、動く)を必須にして「自分を生きる」に取り組みます。

 

「決める」「動く」ことについて、同じ「ただのオンナ」継続コース生の

gungungunmachanさんのブログ記事↓わかりやすくて、すごいなーと思いました。

gungungunmachan.hatenablog.com


わたしに抜けてるのは、このくらい素直に受け取ってこねくり回さないでシンプルに

決める」「動く」をやるということなのだろうな、と感じました。 

 

悲劇のヒロイン癖なのか、文章を書くのが好きだからなのかわからないんですが、

自分のブログ読み返しても、なんか大げさじゃない?って箇所がいくつもあった。笑

 

それなのに「決める」「動く」が抜けてるから、わーわー大騒ぎしただけで終わる。

何も変わらない。つまり【やってる風】になってしまう。

非常にかっこ悪いですね。

 

わたしが真穂さんに送ったメール(1通目)も、

なんだかアレコレ考えてこねくり回してるんですけど、

答えはシンプルで「決める」「動く」が抜けてる、というだけだった。

 

物事はシンプルなのに、あーだこーだ難しくしてるのは自分だった。

やっぱり、自分次第だなぁってとこに落ち着くんですね。

 

上のgungungunmachanさんの記事の一部ですが、

「小さく動いて」
「現実を明らかに見て」
「決める」
「そのためにできることを」
「また小さく動く」
結局これの繰り返しでしかないんだなー。

 
ホントこれに尽きるなって思います。
まずわたしの場合は「決める」「動く」を意識すること。
 
それでもモヤっとして迷ったらこの基本に立ち返って、
更に、今【やってる風】になってないか?って自分で気づける。
そんなところまで持っていきたいと思ってます。
 
長くなってしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!^^

 

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