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ここにいていい

ずっと生きづらかったわたしが、ゴキゲンなただのオンナに戻っていく日記

優越感の奥


こんばんは、めんたい子です^^
前記事の続きです。

 

ノートを通して自分と向き合う感覚がやっと少しだけわかってきたわたしは、
腰を据えて「劣等感と優越感」についてみつめることにしました。

 

わたしはずいぶん長い間、劣等感・優越感と一緒に生きてきた気がします。
例えば、本当にちょっとしたことで「わたしの方が仕事できてる」て良い気になったり、
街ですれ違っただけのきれいな人と自分の容姿を比べて落ち込んだり。
毎日勝手に勝ったり負けたり、ずいぶん心の中が忙しかったです。

 

そして継続コースを終えて自分を煽っていた時は、心からそう思えてないのに
「対等な世界で生きるって決めた♡」とかっこつけたりしていました。

 

でもかっこつけて自分をごまかしてるから、やっぱり心がざわざわして苦しかった。
そして、真穂さんのブログを読んでこう思いました。

 

わたしは自分の今までの劣等感を、浅いところでしか見れてない。
わたしは長いことコンプレックスまみれで生きてきたのに、その自覚はあるのに、
そこを明らかに丁寧に見て受け止められていない。
優劣感(同時に劣等感)や被害者意識を持ってないと生きてこれなかった
自分の弱さ繊細さを、ほかでもない自分が受け止められていない。

 

わたしは今まで、過去のことを見ようとしていませんでした。
過去のことが問題だと捉えていなかったし、
過去のことを思い出すのはなんだか感傷的すぎるような気がしていたのです。


だから、「今」劣等感を感じる、とか「今」なんか生きづらい、とか
「今」のことにしかフォーカスしていませんでした。


どこかで過去を直視すると自分を保てない繊細な自分をわかってて、
直視するのが辛すぎて、直視しないために言い訳していたのかもしれません。

 

でも結局、真穂さんのブログでもあるように
過去の出来事をしっかりみてないから永遠に終わらない。

 

しっかり受け止めていないから、何度も何度も「ちゃんと見ろ~!」って、
世界がわざわざ劣等感感じる出来事を用意してくれたのかもしれません。

 

怖いけどしっかり受け止めなきゃ。
過去に傷ついたところ、劣等感感じて辛かったところを見ていこう。
ちゃんと昔のことを思い出そう。
傷ついたことしっかり思い出して受け止めて、どっぷり悲劇のヒロインに浸りきろう。
いったん、劣等感優越感ぜーんぶ出し切ろう。

そう思ってノートに向かいました。

 

そしたら、いろんな思いが蘇ってきました。
とんでもなく怖がりで繊細で傷つきやすくて弱い自分が見えました。

 

 

***********以下、ノートより抜粋*************

 

できない自分、役に立たない自分でいたら呆れられる。
そしたら悲しい。自分がいる意味がない。

 

ただ仲良くしていたいだけだったのに。
わたしの大切な小さな世界はいつも壊される。
なんだかわからない、とてもじゃないけど敵わない大きな何かに奪われる。
お願いします。良い子でいるから、もう奪わないでください。
わたしの「好き」はいつも否定される。奪われる。
わたしの「好き」に価値はない。

 

不快な行動したら、イラつかせたら、怒られる。傷つけられる。
良い子でいれば怒られないから、傷つかずに済む。

 

わたしが傷ついて泣いたことは、大人の都合で無かったことにされた。
気持ちに寄り添ってほしかった。

 


両親の離婚が辛かった。転校を繰り返して、目まぐるしい環境の変化に戸惑った。
でもそんなのよくあることなんだから、大したことじゃないんだから、
もっと辛い人はたくさんいるんだから、この程度で傷ついちゃいけない。
そんなのただの甘えだ。自分に甘いだけだ。

 

わたしは長子だから、弟たちと比べて、いろんなことができて当然だった。
「あんたはできて当然なの」と言われて悲しかった。褒められたかった。
わたしはできて初めてゼロになれるのだと思った。


できる子でいれば、ここにいて良い、存在を許される、愛されると思った。
できない自分でいることは存在を許されないみたいで苦しかった。

 

いろんな場面で、「ここにいるのがわたしでごめんなさい、
もっと素敵な別の誰かだったら良かったよね」って、たくさんそう思った。

 

ちゃんとできてるっていう自負や、誰かと比べてできてるって優越感は、
自分がここにいていいって思えるために、自ら望んで握りしめていたんだ。


優等生や優越感の鎧でたくさんガードしていないと、
「わたしはここにいてはいけない」って思って辛いから。
本当に本当に繊細すぎて、周りの人の何気ない一言で、悪気のない行動で、
些細な言動で、ただの冗談で、傷ついて打ちのめされてしまうから。

 

わたしがずっと生きづらかったり、常に閉塞感と共にあったのは、
優越感の奥の奥に、些細なことで傷ついてしまう繊細なココロが、
「ここにいてはいけない」という壮大な勘違いがあったからなんだ…!

 

でも優越感には必ず劣等感がセットでついてくるし、
いくら頑張ったって自分よりできる人はゴマンといてきりがない。
自分を守ろうとしてたその行動が、違う角度から自分を辛くさせてたんだ。

 

それに、本当は、できないそのままの自分でここにいたい。
なんでも額面通りに受けとってしまって、気の利いた冗談のひとつも言えなくて、
驚くほど不器用で、鍋のフタ爆発させたり何もない道でよくコケたりする、
本当にどんくさくて、甘ったれで、そのくせ気分屋で、
傷つきやすくて繊細で泣き虫なわたしのままで存在を許されたい。

 

************************

 

きっとその思いが奥にあったから、「ただのオンナに戻る」という
真穂さんのブログに魅かれたのだと思います。

 

そんなかんじで悲劇のヒロインに浸って大泣きして
ノートに書いてスッキリして、冷静に読み返してみると、

 

あれ??

 

それでもわたしは事実、今生きてる。生かされてる。
ダンナはわたしのダメなとこたくさん知ってるけど、一緒に居てくれてる。
母親だって、なんだかんだ高校まで出してくれた。
もじもじして子供らしい快活さがないわたしにだって、おじいちゃんは優しかった。
わたしが気分屋で遅刻魔だって知ってるのに、10年来の友達だっている。

…という事実に気づきました。

 

いくらわたしが、「素のままの自分は存在してはいけない」と
思いたかったとしても、これが事実。
全部、きれいごとじゃなくてただの事実。

 

もうこれは、ただの事実なので受け入れざるを得ません。
いくら否定しようと思っても、否定する要素がない。ただの事実だから。
だとすると、もしかしてもしかすると、
最初からそのままの自分で存在を許されてたんじゃないかな…?

 

ノートに書いたときはうまく言語化できてなかったのですが、
なんとなくそんな仮定が、思いの芽のようなものが自分の中に生まれました。

 

そして今これを書いていて改めて、
あーーー、わたしはそのままで愛されていたんだなあ。
ありがたいなあ、と、泣きそうになってしまいました。
些細なことで傷つく余裕があるほど、大切に守られていたんだなあということも。

 

続きます。

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